冷凍保存が苦手

徒然なるままに

100人も居ない要らない

友人をカテゴリ分けしたい。

 

例えば街を家族と歩いているとき、前から学生の時に知り合った友人と歩いていたとする。その友人とは卒業以来会っていなかったら「学生時代の友人」と家族に紹介するだろう。しかし卒業後も頻繁に会ってたり連絡を取り合ってたりする友人を「学生時代の友人」で済ませたくはない。長い時間苦楽を共にし、その後も交流がある人はほんの一握りである。(人によりますが…)この尊い関係に特別な名前を付けたくなってしまった。

 

考えた結果「学生時代からの友人」という言葉に辿り着いた。「からの」があるとないとじゃ親密度の深みが違う。日本語は深い。「からの」の表現には無限大の可能性があるのではないか?高校の友人。高校からの友人。うん。今でも関係が続いているのは後者だ。

 

冒頭に述べた「カテゴリ分け」という表現はやや過剰で語弊がある。しかし、卒業後の交流があったかないかでは相手との親密度が変化するのは事実である。卒業後、一人として同じ人生のレールを歩くわけではない。それぞれに人生がある中私のことを思い出してくれてありがとう。コロナ禍になりなかなか会えなくなった今、「からの友人」が「からの友人」で居てくれることに改めて感謝したい。